ブレイクは絵はもとより詩の才能も優れて、1783年、処女詩集「誌的素描」を、1789年には「無垢の歌」「天国と地獄の結婚」「経験の歌」を絵入りで出版しています。

また本人自身が「ビジョン」と呼ぶ幼幼視という能力で、ダンテやシェイクスピアなどの挿絵を制作、「無垢の歌」と「経験の歌」は、一体化されて「無垢と経験の歌」となりまが1797年ごろから難解な幼想詩を書くようになります。当時ブレイクの詩と絵はまったく認められず、貧困のうちに生涯を閉じました。