ジョセフ・マロウド・ウィリアム・ターナー(1775~1851)


ターナーは18世紀から19世紀にかけて活躍したイギリスの風景画家です。ロマン主義の巨匠であり、のちの印象派にもおおきな影響を与えた画家です。水彩画、油絵などたくさんの作品を残しています。

 

1775年イギリスのロンドンのコベェント・ガーデンに生まれる。イギリスを代表するロマン主義の画家であり、イギリの美術史上最も偉大な画家であります。風景画家として油絵 2万点、水彩画 1万点を残し、いずれも高い評価を受けている。特に水彩画のテクニックは素晴らしいものがあり、今日の水彩画に多くの影響を与え、技術の発展に貢献しています。父親はウィリアム・ターナーといい理容店を営む。母親は精神疾患を忠っており、ターナーの養育は満足にしてあげられなかった。1804年、ターナーが29歳の時に精神病院で亡ている。ターナーも学校には通わず、13歳の時に風景画家のトーマス・マートンに弟子入り、その後ロイヤル・アカデミー附属美術学校に入学し絵画を学ぶ。

ターナーは、多くの旅をしています。。イギリス国内はもとよりスイス、フランス、イタリアなどヨーロッパ大陸へと旅に出て、その風景から多くのインスピレーションを受けます。そして大量のスケッチを残し、それらを用いて水彩画や油絵を仕上げて行きました。300冊を超えるスケッチブックが現存していますが、残念ながら保存状態があまり良くないようです。1819年、イタリア旅行の際にカナレットなどの多くの作品に触発されて、作風がさらに鮮やかさを増していきます。写実的にそのものを描くスタイルから、光、大気などを描くようになったのです。のちの18世紀後半の印象派画家、モネ、ルノワールたちにも多大な影響を与えています。その後はより抽象的な作風と変わっていきますが、冬の寒い時期は 、アトリエにこもり貪欲なまでに制作に没頭します。 また生涯結婚はすることはなかった。精神疾患を患っていた母親との関係に、理由があると言われている。1837年、ロイヤル・アカデミーの教授を辞める。1851年亡くなり享年76歳でした。

 

パンテオン、火事の翌朝  1792年 テート・ブリテン

1792年17歳の時の作品  ターナーは付属学校に通いながら同劇場でアルバイトをしていました。ある時、この劇場から出火、あっという間に焼け落ちてしまう。ターナーはスケッチブックを持って駆けつけ、その場で燃え続ける劇場の様子をスケッチする。これを水彩画として仕上げ出品します。この描写力は凄い、やはり天才としか言いようがありませんね

 

 

 

 

 

ターナーは油絵の技法を水彩画に適用し、メリハリのあるドラマチックなコンスタントの強い水彩画を描くようになります。

 

 

 

 

 

 

東京で開催されている「ターナー風景の詩」展から
日本初公開となる名作 「ソマーヒル、トンブリッジ」イングランド南東部の町、トンブリッジの貴族の館として建てられた「ソマーヒル」が舞台。前景に池に泳ぐ鳥、中景には牛が草を食む丘陵地を、そして遠景には豪壮な邸宅がそびえ、見る者の視線が、丘の上に導かれる構図を生み出しいる。空の雲は黄金色に描き、水面は周りの木々など映し、空気が澄み切っている様子が表現されている。ターナーは英国各地を訪れ多くの作品を残しています。